この遺跡は、Nakhon Ratchasima県のA. Sung NoenのT.Semaに位置します。
3km X 4kmの広いエリアには古代都市がありました。
この遺跡は、7世紀から8世紀に掛けて建設が始まり、
タイ中部に栄えたドヴァラヴァティ文化の影響を受けています。
この遺跡から発掘された碑文によると、
868年の年代と、Sri Canasaと言う領主の名が記されていました。
また、別の碑文には、クメールの王ジャヤヴァルマン5世(968年~1001年)の名前も記されていました。
遺跡の南部にあったレンガの山です。
何かの建物の跡だと思います。
遺跡の南東部には、レンガの基壇の跡があります。
ここにも基壇の跡があります。
遺跡の南東部にあった池です。
南から中央部遺跡を見たところ。
中央部遺跡を南から見たところ。
南東から見たところ。
遺跡の東部には、遺跡の残骸が転がっています。
中央部遺跡を東から見たところ。
北東から見たところ。
中央部遺跡の南側。
四角に石で囲われた遺構があります。
中央部遺跡を南から見たところ。
南から近づいて行きます。
基壇上部には、ドアフレーム跡です。
三角の抉りは、柱とのフィッティング用です。
しかし、元々このように置かれていたのか??
装飾用のまぐさ石の裏に使用されていた
機能的なまぐさ石だった可能性は?
南から見たところ。
一番手前の石は、中央が折れています。
地面に置かれていたのでは、
このように折れないのではないかと思います。
クメールの遺跡は、通常、東向きだが、
この遺跡は南向きであったようです。
最奥部には、ヨニがありました。
そして、聖水を流したSomasutraがありました。
Somasutraは、通常、北向きですが、
ここのSomasutraは、東を向いています。
この遺跡は、上座部仏教のドヴァラヴァティー時代に始まりましたが、
ヨニとかSomasutraは、クメールの影響があったのだと思います。
Somasutraの先には、聖水を流した穴が開いています。
中央部遺跡の上から南を見たところ。
中央部遺跡の上から西側を見たところ。
西の遺構を南から見たところ。
西の遺構です。
遺跡を南西から見たところ。